2011年3月15日火曜日

危機に直面して

唐突だが東京の震度5を大地震というか疑問だが

自分にとっては生まれて二度目の大地震だったと思う。

一度目は1993年のグァムでのM8.1、震度6(当時の発表。奇跡的に死者は0)

着いたその日にモロにくらった。



激しい揺れにとても立っては入られずベッドに体を投げ出して

必死に下の妹を抱えてたがベッドごと右へ左へと・・・

そのうちホテルの部屋の壁に亀裂が入り始めたのを見た時に死を覚悟した。



地震が収まって、しばらく呆然としていると

「everybody out!!」

ホテル従業員の怒号が外から聞こえる。



それに従い家族全員で部屋の外に出たが水道管が破裂したらしく

そこらじゅうで物凄い量の水が壁の亀裂から噴出していて水浸しになり、

階段に至っては滝のようになっていた。



家族5人必死になって、激しい水の流れの中を10階以上降りた。



それから三日間はホテルの建物に倒壊の恐れがあるということで野宿になった。



余震が度々あって食料とか寝る場所等々不安は多々あったけど、

不思議と一緒にいた親父、この人がいれば何とかなると思った。

物事の工夫、状況判断、人を牽引するのに長けてる人で

それまでの生活の中でも、ひねくれ者の自分でも感心する事が何度もあり

事実、被災した後も親父の判断で大事な局面や肝心な所は全て乗り切っていた。



今、未曽有の震災が東日本を襲ってる。

不安を煽るようなのでブログでしか書けないことだが

震源地が下がってきている事に少し危機感を募らせる。


阪神大震災と今回の東日本大震災に挟まれる形で東海地方(関東)がまだ残ってる。

グァムから無事成田に着いた時に人生二度目は東海(関東)地震と覚悟を決めていたが

どうやら俺には3度あるみたいだ。



今も危機は去っていない。

原発もそうだが3度目の正直で今度の東海(関東)地震には・・・・・と少々弱気になる。



でも、今はグァムの時にはいなかった自分の大事な家族がいる。



危機に直面した時に自分も親父のように家族を安全に導けるだろうか。


頼る事のできた親父は他界してもういない。


今度は自分の番、自分しかいない。



仕事も大打撃だが60年以上も建ってる古い雑居ビルの中で

頑張って仕事してる従業員もいる。



不安だ弱気などと言ってられない。




何があっても乗り越える。



頑張らねば。





しっかりしないと・・・